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心の底に命の声を聴くようです
加藤登紀子(歌手) 

 私がアイヌの人と出あったのは1971年。「知床旅情」がヒットソングになって初めて知床の斜里、ウトロ、羅臼を訪ねた時でした。今は観光の真っ只中にあるウトロはその当時、私の歓迎会の開かれた「酋長の家」くらいしか灯りのついている建物はなく、神秘の暗闇の中にありました。それでも会場にはたくさんの人が集まり、髭を生やしたアイヌの酋長と思われる人を真ん中に熱気の中で迎えられたのでした。  
 その歓迎会でアイヌ・ムックリをプレゼントされ、その日の旅館に、アイヌの女性がわざわざ教えに来て下さったのでした。なかなか覚えられず、今も演奏できませんが、昔は恋人に思いを打ち明けるのに、湖のこっちから向こうまでムックリを響かせたとか。その透き通るような静けさが想像できます。
 1975年ごろ、まだ2歳の娘を連れての北海道ツアーでは、阿寒湖畔で歓迎のカムイノミに招かれ、火の周りで鹿肉のスープをいただき、娘が喜んで食べたことが思い出に残っています。
 それから50年近く経ち、北海道でいろんな機会にアイヌの人たちとお会いし、 歌とも出会って来ました。  
1981年のアルバム「Rising」の中にレコーディングした「シララの歌」はアイヌユーカラの本に見つけた物語に、一本の弦のアイヌトンコリで奏でられるアイヌ神謡をヒントに、たった一つのコードで作曲した歌でした。コードが変わらないので、ピアノでも、アコーディオンでも即興で伴奏をつけてもらえ、フランスなどでも、いろんな人と劇的なセッションを楽しんだ思い出があります。
 哲学者の梅原猛さんに、「登紀子さん、アイヌの人たちの歌を復活させて下さい」 と言われて札幌郊外にアイヌ研究家藤村久和先生を訪ねて、泊まり込みで藤村さんの集められたアイヌの歌を聞かせていただいた時には、「ヤイサマネーナ」という子守唄と、「トゥーリナ」という雷の息子の旅立ちをテーマにしたユーカラを覚えて、これもフランス人の音楽家のプロデュースでレコーディングしています。
 古い、ということの中に、とっても自由で新しい地平が広がっていくようで、これは大きな発見でした。
 「縄文の土器を求めて地面の下ばかり掘るのに、ここにまだ狩猟採集の自給自足生活の文化が生きたまま残っていることに誰も気づかない」 と嘆いた藤村先生の言葉が思い出されます。  1899年(明治32年)の旧土人保護法で、アイヌの人たちは、これまで海や山や川と共に営んで来た土地を国に奪われ、狩猟採集に権利料が課せられるよう にまでなった!  
 アメリカの先住民が故郷を奪われたのと同じです。  
 「神様からいただいた自然の恵みを、お金に変えることなどできません。」  
 彼らのその叫びは、国に届くことはありませんでした。
  大地とのつながりで営まれて来た先住民の暮らしは、世界中にきっとあったのです。  
 民族の誇り、自然を畏敬する祈りを踏みにじって、世界は利益追求の発展に邁進 して今を迎えています。  
 今起こっている紛争の根底にも、この古くからの営みを蹂躙して来た近代化の暴力が火種であることは間違いありません。  
 地球に住むようになった人類が何万年も営んでいた暮らしを、数百年の歴史が圧殺して来たのです。  
 もうすぐ90歳の宇梶静江さんが、小さな子供の頃、父親や母親、アイヌコタンの隣人と共にアイヌの伝統を受け継いだ暮らしを経験していたことは、とっても貴重なことだと思います。 
 海、山、川、草や花、鳥や魚たち。共に生きた自然の美しさは、その後の厳しい人生を経ても、彼女を支え続けたのですね。今こんなにも美しく豊かなアイヌの魂 に到達され、彼女が古布絵に描き物語る神々しく大らかな営みの姿に、私たちが触 れることができる!なんと素晴らしいことでしょうか。そこに私たちの心の底に 生きつづける命の声を聴くような気がします。
 私たちはまだ、この自然の中に抱かれた溢れる喜びを、取り戻すことができる!  
 宇梶さんの美しい詩と共に、私たち自身がその力を思い出さなければいけない、と思います。  今を生きる、これからを生きるすべての人に「大地よ」を観て、そしてもう一度 大自然の豊かさを感じてほしいです。




かとう・ときこ/1943年ハルビン生まれ。 65年東京大学在学中、第2回日本アマチュアシャンソンコンクール優勝、翌66年歌手デビュー。「赤い風船」で レコード大賞新人賞、69年「ひとり寝の子守唄」、71年「知床旅情」ミリオンセラー。以後、アルバム80枚以上、 ヒット曲多数。女優として『居酒屋兆治』に出演、宮崎駿監督の『紅の豚』では声優としての魅力も発揮した。 日本訳詩家協会会長。最新CD チャリティアルバム「果てなき大地の上に」(TOKIKO RECORDS) 近著『百万本のバラ物語』(光文社)
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